一般のみなさまへ

健康情報誌「消化器のひろば」No.14-2

ずばり対談
ゲスト・タレント 向井亜紀/東京大学大学院消化管外科准教授・東京大学医学部附属病院胃食道外科副科長・東京大学医学部附属病院 がん相談支援センター長 野村幸世

今回ゲストにお迎えしたのは、タレントとして活躍される一方、格闘家・髙田延彦さんとの間に2人のお子さんを授かり、母としても多忙な日々を送る向井亜紀さんです。向井さんは2000年に子宮頸がんで最初の手術を受けた後、右腎臓の摘出手術や人工血管の置換手術、直近では大腸がんの一種である「S状結腸がん」の手術など、通算で18回の手術を経験されました。聞き手の野村幸世先生は消化器外科医であり、小学生のお子さんを持つ母でもあります。向井さんのS状結腸がん体験を柱に、がんを子供や仕事仲間にどのように伝えたのか、前向きな向井さんのエネルギーの源泉は何か、など話題は多岐に広がりました。

(2018年9月20日収録)

大腸内視鏡検査で「S状結腸がん」が発覚

野村
向井さんは2013年にS状結腸がん(注1)の手術を受け、2018年で5年目を無事に迎えられたそうで、おめでとうございます。どのような経緯でがんが見つかったのでしょうか?

向井
ありがとうございます。実は2000年の子宮頸がん手術の後も婦人科検診はまめに受けていましたし、2007年には腎臓摘出手術もあって頻繁に通院していました。そのうえ毎年、夫と一緒にPET-CT(注2)検査で全身をチェックしていたので、がんになるはずがない、内視鏡検査は受けなくても大丈夫だろうと勝手に思い込んでいました。ところがPET検査で「大腸で去年と同じ場所が光っている」といわれ、改めて大腸内視鏡検査を受けた結果、S状結腸がんが見つかったのです。

野村
PET検診は部位によって感度の違いがありますから、がんをごく初期の段階で見つけるには内視鏡検査を受けていただくほうが良いですね。大腸がんは比較的成長が遅いので、米国のがん検診ガイドラインでは大腸内視鏡検査はポリープなどの異常がない限り5年に1度で良いとされています。

向井
大腸内視鏡検査はお尻からカメラが入るし、事前に下剤を飲まなくてはいけないので皆さん面倒なようです。でも女性にとっては腸をきれいにするデトックスにもなりますよね。私も手術を受けて以来、大腸内視鏡検査を毎年受けるようになり、PET検診はお休みしています。

野村
それは良いと思います。放射線被ばくの点からも、PET検診を毎年受けることはおすすめできません。

注1 S状結腸がん
大腸がんの一種。大腸がんはがんの発生した部分により結腸がん・直腸がんに分かれるが、S状結腸は結腸の最下部にあたる。大腸がん全般に、腺腫という良性のポリープががん化してできる場合と、正常な粘膜から直接発生する場合がある。日本人の大腸がんとしては、比較的S状結腸と直腸のがんが多い。S状結腸や直腸に発生したがんに現われやすい症状は、血便、便が細くなる(便柱細少)、残便感、腹痛、下痢と便秘の繰り返しなど。

注2 PET-CT(陽電子放出断層撮影)
PETはpositron emission tomographyの略で、放射能を含む薬剤を用いる核医学検査の一種。多くは放射性薬剤でブドウ糖代謝の指標となる18F-FDGという薬を経口または静脈注射で体内に投与する。がん細胞は一般の細胞よりも糖質の消費量が多いので、FDGの蓄積をとらえてがんを画像化する。腫瘍の大きさや場所の特定、良性・悪性の区別、転移状況や治療効果の判定、再発の診断などに利用されている。がんのほか、てんかん、心筋梗塞の検査にも使われている。

注3 腸閉塞(イレウス)
様々な原因によって、小腸や大腸で食物や水分の通過が悪くなるか、完全に遮断されてしまい、腸管内容物が肛門方向に運ばれなくなる病気。すぐに原因を取り除かないと、全身状態が急激に悪化して死に至ることもあるため、早急に専門医を受診して適切な治療を受ける必要がある。

子供にがんを伝える

野村
向井さんがS状結腸がんの手術を受けられたのは、双子のお子さんが小学校4年生のときですね。お子さんたちには病気のことをどのように伝えたのでしょうか。

向井
レギュラー出演しているテレビ番組『朝だ!生です旅サラダ』の夏休みに合わせて手術をしました。実はその夏休みには家族でハワイに行き、きれいな空の下でペルセウス座流星群を見ようと計画していたので、子供にはちゃんと説明しなければなりませんでした。「お母さんのおなかの中にがんができてしまったから、それを取りに行くことにしたよ。だからお母さん、今度の旅行はお休みするね」。子供はもうがんという言葉がわかり始めていたので、「死んじゃうの?」と泣き出しました。私は「死なないよ。死なないために悪いのをやっつけに行くんだから、お母さんは手術が楽しみなの」。子供たちは理解し、旅行をやめると言い出しましたが、「せっかくきれいな星が見られるのだから、お母さんの代わりに見てきて。お母さんは東京の空で同じ星を見ているからね」と送り出したのです。

野村
それでお子さんたちは入院中、パパと一緒にハワイへ行ったのですね。私にも小学生の子供がいますが、手術で入院するときには子供はどこかに行っていてくれたほうがいいですよね。

向井
私はできれば、子供には見舞いにもあまり来ないでほしいのです。治療の関係でお子さんに会うのを我慢しておられる患者さんもいらっしゃるので…。子供は頑張ってデジカメにいろいろな写真を撮ってくれて、私はそれを機にスマートフォンを買い、入院中もビデオ通話で子供の様子を見せてもらいました。子供が成長する様子を見ることができて、本当にいい時間でした。

野村
とてもいいお話ですね。患者さんから「子供にがんを伝えるべきでしょうか」という質問もよく受けますが、隠さないほうがいいとお話ししています。向井さんのように病気があっても立ち向かうという姿勢をお子さんに見せるのがいいですね。

向井
子供の年齢によって理解力は違うので、嘘はつかずにその都度言葉を足していく。理解力が上がれば問題点も話していくのが良いかと思っています。子供にだまって治療を受けていて、万一最悪の事態になったときに嘘をつき通したまま永遠の別れになるのだけは嫌ですね。

病気を隠さない

野村
手術の後はすぐに仕事に出られたのですか?

向井
出ました(笑)。ちょっと頑張りました。

野村
「絶対に仕事に穴を空けない」という姿勢が伝わってきます。スタッフの方にはどのように話されたのですか?

向井
番組の夏休みの間に手術を受けたので、誰にもばれませんでした(笑)。『旅サラダ』は今年26年目になり、約1,300回続いている番組です。私は子宮頸がん手術と腎臓摘出手術で40回お休みしました。そのときは病気を正直に話しましたが、生放送を休むとなると関係者の皆さんにとても心配をかけることがわかっていたし、病気を伝えたうえで生放送中に体調が悪くなったら、プロデューサーをはじめいろいろな関係者が新たな責任を負わなくてはならなくなります。それが申し訳なくて、できる限り自分の責任の中で済ませようと思ったのです。でも、術後しばらくしてからお話ししたら、皆さんから「水くさいなぁ」と言われました。

野村
人間が病気になるのは当たり前のことで、決して恥ずかしいことではありません。向井さんはがん体験を公表されていますが、日本だとなるべく隠そうとする傾向がありますね。

向井
重要なプロジェクトが進行中に深刻な病気になり、完成するまでは周囲に心配をかけたくない、という事情は理解できますが、ただ隠し続けたり、病気であることを忌み嫌う風潮があるのは残念なことです。

自分の取り扱い方がわかってきた

野村
手術後の体調はいかがですか。

向井
腸閉塞(注3)が癖のようになり、痛くて何度も救急車に乗りましたし、そのために乗っていた新幹線を停めてしまったこともあります。これは何の影響なのですか?

野村
手術によって腸に癒着ができ、多少食物が通りにくいところがあるのでしょう。ただし、癒着も時間とともにだんだんほどけてきます。現在はいかがですか?

向井
もう大丈夫です。初めはつらかったですが、今は「あ、腸が止まり始めている」とわかるようになりました。症状が出てきたら飲食しないようにしていればだんだん症状が落ち着いてくるような感じです。執刀医の先生にも「あなたの体は手術に向いている。あと10回は大丈夫」と言われました(笑)。でも、今も腹痛に備えて座薬をいつも持ち歩いています。それと、おなかが下ると早くて、5分間も待てないのです。必死にトイレを探しています。

野村
大腸の最後のカーブを切除したために、便意から排便までの時間が早いのでしょう。

向井
実は最初の子宮頸がんのときに受けた広汎子宮全摘術(注4)の影響で、私には尿意がないのです。自分で時間をみてトイレに行かなくてはならず、ときには尿閉(注5)になってしまい、水たまりができるほど冷や汗をかくような経験もしました。

野村
本来は尿がたまると自然にトイレへ行きたくなりますから、尿意がないのを自己管理していくのは大変なことです。それでもとても前向きに頑張っていらっしゃいますね。

向井
自分の取り扱い方がだんだんわかってきました。その一つひとつを悲しいこととしてカウントすると毎日がつらくなってしまうので、これで済んで良かったと思うようにしています。

未来のイメージを持つ

向井
今は皆さんから「前向き」と言われますが、子宮頸がん手術の後はしばらく「おなかの赤ちゃんが生きて、私が死ねば良かった」という思いから抜け出せなくなりました。そうすると食べ物がすべて汚いものに見えて受け付けられなくなり、体調も悪くなる一方なのに、どんなお薬もうまく効かないという時期が続きました。

野村
そんな状態からはい上がることができたきっかけは何だったのですか。

向井
主治医の先生がご本人に了解を得て、同じ病棟にいた子宮体がんの若いお母さんの話をしてくださったことです。その方は長く治療されていましたが病状が思わしくなく、最期の闘いに差し掛かっていました。でも、遠方に住んでいるお子さんの小学校の入学式に出たいと、外出許可をもらえるように頑張っていたのです。そのお母さんは「子供にはランドセルに、あの靴、あのハイソックスとあの帽子を。私や主人が着る服はあれにしよう。フル充電したビデオに向かって、どんなメッセージを言おうか…」とイメージしては、心と体を奮い立たせていました。まるで未来のスケジュールを心のカレンダーに書き込むと、体がそれに向けて走り出すという感じです。その話を聞いてから、私も未来のイメージを作らなければと気づいて退院後の生活を考え始めたら、体が本当に変わってきました。今は、たくさん手術を受けてきた経験から、気持ちが前に向いていなければ自分が持つ本来の治癒力、抵抗力、免疫力を出せないのだとわかりました。

野村
向井さんがご自分の心と体のことをよく把握され、前向きにとらえておられるのは素晴らしいことです。これからもますますのご活躍を期待しております。

構成・中保裕子

注4 広汎子宮全摘術
子宮頸がん・子宮体がんの手術方法の一つで、子宮・腟の一部や基靭帯、 さらにリンパ節を取り除く手術のこと。

注5 尿閉
腎臓で正常に作られた尿が膀胱まで運ばれ貯まってはいるが、排尿できない状態。排尿のときには膀胱が収縮し膀胱の出口が開くことが必要だが、何らかの原因で膀胱の出口が十分に開かないことや、膀胱の働きをコントロールしている神経に障害があり十分に膀胱が収縮しないこと(神経因性膀胱)などが原因で起こる。

プロフィール

向井 亜紀(むかい あき)

向井 亜紀(むかい あき)
1964年、埼玉県生まれ。日本女子大学在学中、ラジオ番組のDJとして人気を集め、以後テレビ・ラジオ・エッセー執筆・全国での講演会などで幅広く活動。1994年、格闘家の髙田延彦と結婚。2000年、妊娠するも、子宮頸がんによる子宮全摘出で、16週の小さな命を失う。2003年、米国での代理出産により双子の男子を授かる。26年続く長寿番組『朝だ!生です旅サラダ』(朝日放送テレビ)の司会として現在も活躍中。著書に『家族未満』『プロポーズ―私たちの子どもを産んでください。』などがある。

野村 幸世(のむら さちよ)

野村 幸世(のむら さちよ)
1963年、東京生まれ。1989年、東京大学医学部医学科卒業、1998年同大学院修了。向井さんが産婦人科の治療を受けられた東京大学医学部附属病院分院(2001年に本院へ統合)に外科医師として勤務。2002年に米・ヴァンダービルト大学へ留学。帰国後同大附属病院に戻り、胃・食道外科講師を経て同大学院消化管外科学准教授、同院胃食道外科副科長・がん相談支援センター長を兼任。向井さんと同じく2児の母でもある。『消化器のひろば』広報委員。

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