2022年にデビュー40周年を迎えた堀ちえみさん。今から6年前の2019年、ステージ4の舌がんと診断宣告されつつも、前向きな気持ちを失わずに手術を終えた矢先、初期の食道がんが見つかりました。過去には学会に報告されるほどの数少ない膵臓の病気「特発性重症急性膵炎」で苦しんだ体験も。大きな病気をいくつも克服し、術後のリハビリも乗り越えて、昨年より音楽活動を再開。新曲も発表し、ライブや歌番組出演などではファンを沸かせました。堀さんのがん闘病への思いを、波多野先生がお聞きしました。
(2024年10月21日収録)
ステージ0でも、がんはがん
波多野
消化器病というのは、食道、胃、十二指腸、小腸、大腸といった消化管と、私が専門としている肝臓、胆道、膵臓の病気を指します。日本人には消化器のがんがとても多く、私の病院でも患者さんの多くはがんの方です。舌がんと食道がんという2つのがんを克服された堀さんが、昨年、音楽活動を本格的に再開されたと聞き、すごいと思いました。
堀
舌がんは主治医から「完治」という言葉をいただけました。舌がんのような口腔がんを患っていると、重複して食道にもがんが顔を出す可能性が高いということで、退院前に検査を受けたところ、ステージ0の食道がんを見つけていただくことができました。私は知識がなかったので、「先生、0ということは、がんではないのですか」とお聞きしたら、「いや、ステージ0でもがんはがんです」と言われました。消化器内科の先生が、たぶんがんがあるだろうと疑っておられ、念入りに診てくださったおかげです。
波多野
舌がんの手術をして回復され、やれやれというときにまた食道がんと言われてしまい、とてもショックだったのではありませんか。
堀
舌がんがわかったときよりも、食道がんのときのほうがもう、メンタルが崩壊しました。舌がんの術後、今までと違う自分の姿に愕然として、落ち込んで、落ち込んで…その中で這い上がって「仕方ない、今後リハビリを頑張っていこう」と自分の心の行き先をやっと見つけた矢先に、今度は食道がんです。早期だったので、治療も内視鏡治療切除だけで済みましたが、もしかしたら全身が冒されているかもしれない…という怖さもありました。主人の「舌がんがあったからこそ、食道がんが早期で見つかった。ラッキーだったじゃないか」という言葉に救われましたね。
「社会復帰を考えてください」
波多野
たとえば胃や膵臓の術後も、最初は体重が安定しません。でも1年ぐらい経つと体がなじんでくるようになるし、患者さん自身も食事の仕方などを学んでいくことで、徐々に体重が安定してくるものです。堀さんはどうやって体調を整えていかれたのですか。
堀
私の場合、舌がんの術後1年間は後遺症のようなものがありました。なかなか体重も増えず、身体の末端には栄養が最後に行くそうで、髪の毛がパサついたり抜けたりしましたし、爪の変色や変形などいろいろ影響がありました。でも、病院の先生や、医療チームの皆さんを信じるしかないという気持ちでした。良くなると思って、前を向くしかない。不安に気持ちが傾くと、どんどん悪いほうに考えてしまう。体重が揺らぐと気持ちも揺らいで、「どこかにまたがんがあって痩せたんじゃないか」と考えてしまう。自分の気持ちとの闘いでした。家族にも「そういうふうに考えると、気持ちを持っていかれるよ」と言われました。「笑い療法」があるくらいだからとにかく笑って過ごそう。それでもまた一つがんが見つかったら、院内で担当の先生を紹介してもらえるのだから、保障されているようなものだと思おう。そんなふうに考えていました。
波多野
信頼できる医療チームとお付き合いできていることは、大変心強いですよね。印象に残っている医師の言葉はありますか。
堀
主治医の先生の「我々は病気を治すだけではなくて、患者さんの社会復帰までをサポートしていかなければならないと思っています。だから復帰を考えてください」という言葉ですね。自分では、舌がんでステージ4の告知を受けたときから社会復帰は無理だと思っていました。「ステージ4」を勝手に「末期がん」と解釈していたのです。でも、先生が「あなたは十分復帰できます。一生懸命リハビリをして、社会復帰を果たしてください。それが、今苦しんでいるがん患者さんの皆様に向けての大きなメッセージになりますから」と後押ししてくださいました。
波多野
私たち医療者としては、手術をするだけではなく、そのあと患者さんが元気になるお手伝いをしたいのです。最近は高齢のがん患者さんが増えていますが、80歳以上の患者さんにも「元気になって、社会貢献をしてください。この病気の経験を配偶者の方やお孫さんに伝えるのでもいい」とお話しして、手術をお勧めすることがあります。でも、実際にはがんをポジティブに受け止めることはなかなか難しく、やはり患者さんの中では葛藤があるのでしょうね。
堀
はい、私もありました。現在はがんの治療法が進歩して、がんを経験しても生きていける時代になってきたからこそ、先生方には患者さんのメンタルにも目を向けていただきたいと思います。5年経過した今でも、告知を受けたときのショックや、自分の中で整理できていないつらい体験が、ひょこっと顔を出すときがあります。身近で誰かががんで亡くなったと聞くと、生き残ってしまった罪悪感みたいなものがあったりもします。命が助かったことは非常にありがたいのですが、メンタルだけが取り残されてしまうのです。一部の医療機関では、精神科医ががん患者さんやご家族のサポートに当たっているとお聞きしました。今の医療に5年経っていてもメンタルをサポートしてもらえるシステムが加わったら、がんサバイバーはもっと生きやすくなるのではないかと思います。
波多野
おっしゃる通りです。日本ではその分野がまだ遅れています。我々医師の意識は病気を治すことばかりに向いてしまいがちですが、医師のみでなく、いろいろな医療者が関わって患者さんのメンタルをサポートすることが必要だと言われています。
特別な治療法なんてない
波多野
ところで、がんを患うと民間療法などの勧誘を受ける方が少なくありません。堀さんはいかがでしたか?
堀
今でもありますよ(笑)。主治医の先生には「最善の治療は保険の利く治療法です。多くの患者さんの情報をもとに国がきちんとした治療法を「標準治療」として定めているので、惑わされないようにお願いします」と言われました。
波多野
「標準治療」は、最も理にかなった、患者さんに最も益が多くて害が少ない治療と言えるものです。患者さんによっては「標準よりもっと上の治療があるのでは」と思われるみたいで、「特上の治療をしてください」と言われたりもします。我々は患者さんにいつも特上の治療を提供しているつもりですが、標準という言葉が悪いのかもしれません。
堀
私は「芸能人だから特別な治療を受けて助かったのでは」という声もたくさんいただきます。実際は主治医に提案していただいた3通りの標準治療の中から、病院内で5年生存率の高い手術を選びました。がんには特別な治療なんてない。皆さんが平等に受けられる標準治療が一番良いと思います。
人間は思ったほどヤワじゃない
波多野
話は遡りますが、堀さんは2001年には特発性重症急性膵炎にかかられたそうですね。私も若いときにこの病気の患者さんを担当して、怖さを知りました。
堀
胃もたれがひどかったので市販の胃薬を飲んでいたのですが、普通の胃もたれではないような、油が口に残っているような感覚があり、お腹を下したりもしました。急を要しないと思ったので、そのまま家族で海外旅行に行き、帰りの飛行機が関西空港に着きドアが開いたときにお腹の中で「パン!」という音がしたのです。
波多野
音がしたというのは初めて聞きました。この急性膵炎は膵臓が腫れて、一部の膵液がお腹の中に漏れる病気です。
堀
肺まで膵液が漏れていたそうです。その後、激しい腹痛で真っ青になり、這うようにして自宅に着きましたが、その夜から入院しました。病院では外科の先生がとりあえず開腹手術をしようと準備を始められましたが、消化器内科の若い先生が「膵炎かもしれない。もう一度画像検査をしたい」とおっしゃって、検査したら重症膵炎だとわかり、急遽手術は中止されました。
波多野
それは良かったですね。重症膵炎は、昔は手術が中心だったのですが、2000年頃からはむしろ開腹手術をしないほうが良いということがわかってきて、治療が大きく変わりました。
堀
絶飲食をして、点滴を打って、猛烈な痛みを抑えるためにモルヒネも使いました。家族や親戚には「この3日が山」と伝えられていたようなのですが、そこからは回復に向かっていきました。燃えかすのようになってしまっている膵臓が時間とともに再生していく。その画像を見せていただいて、人間の持つ再生能力ってすごいなと思いました。人間は思ったほどヤワじゃない。だから、その後のがん治療でも主治医の先生がおっしゃることをとにかく実践しようと心に決めて過ごしてきました。病気になったことには意味があり、自分自身の将来につなげていくことができるし、さらには誰かの役に立つという意味を重ねることもできると考えています。2024年秋からライブを再開していますが、生まれ変わって歌いたいと思っています。
波多野
がんと闘っている患者さんにとっても、堀ちえみさんの存在は目標になるのではないでしょうか。堀さんのようにがんを乗り越えようと思っている方も多いと思います。がん患者さん、がんサバイバーの方々のためにも、これからも頑張っていただきたいと思います。本日はありがとうございました。

構成・中保裕子