一般のみなさまへ

健康情報誌「消化器のひろば」No.21-2

社会現象といわれた『ロングバケーション』をはじめとする数々のドラマ、NHK朝の連続テレビ小説『半分、青い。』など多くのヒット作を世に出し、“ラブストーリーの神様”とうたわれた北川悦吏子さん。鮮やかな仕事の陰で1999年に難病・潰瘍性大腸炎を発症。難治性だった北川さんは治療がなかなか効かず、手術後の合併症による強い痛みにも見舞われ、20年以上苦しめられてきました。心の温まるセリフの数々を紡ぎ出しつつ病気と闘ってきた日々、そして現在の心境をかつての主治医、長沼誠先生と語り合っていただきました。

(2022年4月26日収録)

主治医の言葉に感じたプロ意識

長沼
潰瘍性大腸炎の患者さんとはお付き合いが長く、別の病院に異動してからも交流を続けている患者さんもいます。北川さんはそんな患者さんのお一人として今回、対談をお願いしました。まず、潰瘍性大腸炎とはどういう病気か簡単に説明しますと、国が指定する難病の一つで、免疫応答が過剰になることで腸の粘膜を傷害してしまう病気です。大腸などの粘膜に慢性の炎症や潰瘍が起こります。主な症状は下痢や血便、腹痛で、症状のある時期(増悪期)とない時期(寛解期)を繰り返します。命に関わる病気ではないものの、完治はしないと言われています。最近は良い治療法も登場し、長い経過の中でも8割以上の方は軽症となり普通に日常生活を送れるようになりました。しかし、この病気のために大学を留年したり、就職で採用を取り消されたり、入院を繰り返すため大切な人との時間を持てないなど、つらい思いをする人も少なくありません。北川さんは1999年に発症して、なかなか治療が効かず大きな手術も受けられました。その後もつらい症状に苦労されて、生活面でも大変なことが多かったでしょう。

北川
今も大変です。ちょうど今、また手術を勧められているところです。

長沼
私が初めて北川さんにお会いしたのは2006年でした。その後内科治療抵抗例のため手術をされましたが、最初の手術の後も大変な思いをされ、外科医は2度目の手術を検討されていました。しかし北川さんの手術をしたくないという意志が強く、私の勧めで薬物治療を選ばれましたね。

北川
あのとき、長沼先生が「この薬を1回試させてほしい」とおっしゃったのはよく覚えています。「もし、うちの妻が同じ状況なら1回はこの薬を試す。それは医者の勘です。でも、勘というほどいい加減なものではないですよ」と。私はその言葉に医師としてのプロ意識を感じました。

長沼
もちろん、北川さんの希望や生活を考えたうえでの提案でした。患者さんによっては手術をしたほうがよい場合もあるし、手術療法のメリットもあります。

北川
幸い薬が効いて、先生が「このまま5年間は良い状態を保てるかも」とおっしゃったのを私が「一生は無理ですか?」とお聞きしたら「一生もつかも」と言ってくださいましたよね。なかなか希望がない病気なので、どんなことでも希望があれば生きていけると思いました。

長沼
私としても北川さんを主治医として担当させていただいた中で、いろいろな意味で勉強させてもらいました。手術を勧めていた先生とは何度も相談しながら、最終的にまず内科治療でやってみようということになりました。あの時点で手術をしても良かったとも思いますが、内科治療で乗り切れたほうが、北川さんがいい仕事をできると思ったのです。

北川
長沼先生が転院されるときは泣きましたが、その後も主治医にはずっと恵まれて、なんとかやって来られました。先生方にはとても感謝しています。

生きるために仕事が必要だった

長沼
NHKの朝の連続テレビ小説『半分、青い。』(2018年)のときも、大変な病状の中、入院中に脚本を書かれていたのが印象に残っています。

北川
そのときも3回ほど入院して、NHKのスタッフが病院に来てくれて打合せをしていました。朝ドラはすごくハードな仕事なので、どちらかというと責任感で乗り切った感じかな。私が降板すると役者さんにも迷惑がかかりますし。私は完璧主義なので、自分の脚本に他人の手を入れたくなかったんですが、念のため友人であり朝ドラでは大先輩でもある脚本家・岡田惠和さんに万一のときのリリーフをお願いして書き始めました。でも、結局最後まで自分で全部書きました。

長沼
ベッドの上で「自分で書きたい」とおっしゃった北川さんの言葉を私も覚えています。「今日は気分が乗っていてこんなに書けた」とうれしそうに言ってくれたことも印象的でした。つらい状況を乗り越えるのに北川さんは仕事を原動力にしてきたのですね。「仕事があるから頑張ろう」という。

北川
仕事をしていないと病気に呑み込まれてしまうと思うのです。考えても仕方がないことをずっと考え続けて気持ちが紛れず、自分の気持ちが落ちていくばかり。ドラマのキャスティングを考えているほうが自分の気持ちが楽なのです。私は神様に病気というカードをもらってしまったのですが、それでも生きていかなければいけない。ではどうしたら自分は少しでも機嫌よく生きられるのか……そう思うと、仕事は手放してはいけないと実感しています。もちろんほかの人にはほかの何かがあるのだと思いますが、私にとってはそれが仕事。生きるために仕事が必要だったのです。

患者さんの人生は、家族も含めた人生

長沼
テレビ番組では、ご自身が2019年に『アナザースカイ』に出演され、娘さんと一緒にイタリアに行かれましたね。

北川
あのときも長沼先生に相談しました。「いつまで待てば私は元気になりますか」と尋ねたら、先生は「いつでも一定のリスクはある」と言われたので、「じゃあ、今行っちゃおう」と。行く前には番組のスタッフがイタリア各地に医師を見つけてくれていて、長沼先生が医師宛のお手紙を書いてくださいました。

長沼
北川さんがずいぶん不安そうだったので、私のつたない英語で手紙を書いて渡しましたね。娘さんと一緒に行けて良かったですね。

北川
すごく大がかりな旅行でした。こんなふうにいつもリスクがあってすれすれです。でも行って良かった。娘と2人で旅行できて、番組として映像にも残すことができ、とても良い思い出になりました。

長沼
ところで、仕事を続けるうえで、ご家族のサポートは大きいですか? 私の印象では、ご主人の存在が大きいのではないかと思っています。というのは、外来や病棟に来てくださったご主人の質問がとても鋭いのです。私もまだ若かったので、緊張しました。そして、患者さんの人生はその周囲のご家族も含めた人生なのだと考えるようになりました。以来、現在も患者さんにはよく「ご家族を連れてきたほうがいいですよ」と話しているのです。

北川
それはうれしいです。最初に病気が発覚したときには一緒に泣いてくれたりしたのですが、今は主人も娘もすごくクールですよ。2人とも20年以上、具合が悪い私に慣れているのもあって、私が痛がって寝ていても「いつものことだ」と放っておく。それが我が家のデフォルトになっています。それは家族が自分を保つためであり、それによって均衡が保たれているところもあるんです。これが私だということを2人とも受け入れつつ、あきらめつつ、仕方がないと思いつつやっています。私自身も距離が近すぎる人には、むしろあまり甘えないほうが良いのではないかと思い、娘と主人の前ではあまりわっと泣いたりしないように気をつけています。でも、心のどこかではとても頼っているのかもしれません。

どんな状況でも人間には生きていきようがある

長沼
ところで北川さんには、『半分、青い。』以外でも難病や障害を描いた作品がいくつもあります。

北川
常盤貴子さん演じる難病で車いすの女性が主人公の『ビューティフルライフ』(2000年)を書いたのが、潰瘍性大腸炎がわかった直後でした。自分が実際に難病と診断を受けて、当初書いていたドラマの企画書を「難病ってこんなもんじゃないな」とその日に全部書き換えました。病院でもらった薬袋にバーッと走り書きをしたのもそのままセリフになっています。『オレンジデイズ』(2004年)では柴咲コウさん演じる前途有望なバイオリニストの女性が聴覚を失います。「私をこんなふうにした神様のメッセージは何?」と言うと、相手役の妻夫木聡さんが「神様にメッセージはない。ただ不幸がやってきた。でも僕にはプランがある。君を音の闇の中から救う」と言う。たとえ難病でも何かを背負っても、人は生きていきようがある、と。私はこれをいつもテーマに作品を書いている気がします。

長沼
最近はご自身でもいろいろな場で病気の体験を話されていますね。

北川
2015年に病気を公表しました。娘が18歳になり、母親の病気が原因でいじめられることはないだろうと思ったし、主人にも「今や病気は君のアイデンティティになっていて、作品ともつながっている」と言われて。最近、私の記事を読んだ患者さんがそれに影響され自ら治療を選択し、それで症状が改善されたというお話を聞いて、すごくうれしかったですね。公表した甲斐がありました。
ただ、長沼先生がおっしゃったように、潰瘍性大腸炎の8割はいずれ軽症になります。私は底辺の3~5%くらいに入ってしまったのですが、周囲の潰瘍性大腸炎の人を見ていてもほとんどの人はこんなにひどくならないことも知っています。だから、潰瘍性大腸炎の人には私の話を聞いてもビビらないでほしいですね(笑)。

難病だから、と自分を特別扱いしたくない

長沼
難病の患者さんへのメッセージをお願いします。

北川
山田太一さんのドラマに出てくる「病気の人は甘えていいんだよ」というセリフには本当に救われました。私は基本、自分の機嫌は自分で取るようにしているのですが、本当につらい時は友達に泣きながら電話してしまいます。でも、1人に集中しないようにする。全部その人に寄りかかってしまうと、相手がクラッシュしちゃう。私が「難病です」と言うと、「風邪ひいて大変だった」とは言えなくなっちゃうでしょう。誰かに「風邪をひいたの」と言われたら「大変だね」と言いたいし、「海外旅行に行く」と言われたら「いいね」と送り出したい。なるべくひがみっぽくならないように自分をコントロールしながら、人と楽しく付き合うようにして、自分の世界が小さくならないように心がけています。

長沼
一般的な人間関係にも通じる話ですね。

北川
そう思います。過去に書いたドラマに「地獄は一つじゃないよね」というセリフがあるのですが、病気ではなくても人は何かを抱えています。痛くて、つらくて、怖いから病気だけを特別扱いしたくなる気持ちはわかりますが、「自分は難病だもの」「特別だもの」と思うと逆に自分を追い詰めてしまう。病気というのはパンチがあるから、どうしたって不幸競争で一番になるのだけど、「その競争はしない」と決めたほうが光は見つかると思うのです。病気がなくても生活や仕事でにっちもさっちもいかなくなってしまった人もいる。そういう人に対しても私は「どうにか頑張って生きていこうよ」と言えるんじゃないかと思うのです。もう20年以上寛解と増悪を繰り返している私でも、こんなふうに明るく「どうにか頑張って生きていこう」と言えるのですから。

長沼
これからも北川さんにとっての“ハッピー”が何かを中心に考えた適切な治療が行われ、少しでも体調が良い方向に向かうことを願っています。今は実際の主治医ではありませんが、困った時には一医師としてご相談に乗れればと思います。本日はありがとうございました。

構成・中保裕子

プロフィール

北川 悦吏子(きたがわ えりこ)
1961年、岐阜県生まれ。脚本家・映画監督。1992年に『素顔のままで』で連続ドラマの脚本デビューを果たす。『愛していると言ってくれ』(1995年)、『ロングバケーション』(1996年)、『ビューティフルライフ』(2000年)、『オレンジデイズ』(2004年)など多くの大ヒット作品を世に送り出し“ラブストーリーの神様”と呼ばれる。最近の作品はNHK連続テレビ小説『半分、青い。』(2018年)、『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』(2021年)など。映画やエッセイ、作詞の世界でも活躍し、その活動は多岐にわたる。
長沼 誠(ながぬま まこと)
1967年、東京都生まれ。1992年に慶應義塾大学医学部卒業。東京医科歯科大学消化管先端治療学講座講師、慶應義塾大学医学部消化器内科准教授などを経て、2020年に関西医科大学内科学第三講座主任教授に就任。厚生労働省研究班における治療指針作成委員のプロジェクトリーダーとして、一般医にわかりやすい指針作成に取り組むとともに、原因が明らかでない炎症性腸疾患の病態解明の研究にも関わっている。専門分野は消化器内科、消化器内視鏡、炎症性腸疾患、過敏性腸症候群など。
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