一般のみなさまへ

健康情報誌「消化器のひろば」No.16-1

FOCUS がんゲノム医療とは

患者一人ひとりに合わせた治療薬を用いる次世代のがん治療が新たなフェーズへ

 「がん」の遺伝子の異常の中には、がん細胞の生存に重要な特定の遺伝子(ドライバー遺伝子)が存在することが知られるようになり、その特定の遺伝子の異常を標的とした治療薬を用いて個別化治療を行うことを、「がんゲノム医療」あるいは「プレシジョンメディシン(精密医療)」と呼びます。

 Cancer Genomics(がんゲノム医学)が飛躍的発展を遂げたことにより、ドライバー遺伝子異常が次々に同定されました。すかさず、こうしたドライバー遺伝子異常に対して特異的に効く分子標的治療薬が登場し、たとえば肺がんにおいては現状でEGFR、ALK、ROS、BRAFと4遺伝子に対するコンパニオン診断薬が承認されています。しかし、これらの検査を順番に実施するのは費用および検査の所要時間において非効率的であり、次世代シーケンサーが普及するにつれて、一度に数十から数百の遺伝子を調べる遺伝子パネル検査が徐々に臨床現場に実装されるようになってきています。

 いよいよ2019年6月、遺伝子パネル検査、NCCオンコパネルとFoundationOneが保険償還されました。我が国におけるがんゲノム医療が新しいフェーズに入ったと言えます。いずれの検査でもFFPE(ホルマリン固定パラフィン包埋)検体が用いられ、ゲノム解析に適した病理標本を作製するために、基本的に固定には10%中性緩衝ホルマリンを用い、臓器摘出後2時間以内の固定処理が望まれます。得られた遺伝子異常の最終判断と推奨治療の決定を行うカンファレンスをエキスパートパネルと呼んでいます。ここには主治医・病理医・技師・腫瘍内科医・遺伝カウンセラー・看護師・バイオインフォマティシャン等の多数のエキスパートの参加が必要とされます。保険診療においては、このエキスパートパネルの開催権限は、がんゲノム医療中核拠点病院および同拠点病院に限定されており、がんゲノム医療連携病院で実施された検査結果も連携先の中核拠点・拠点病院が開催するエキスパートパネルでの議論を経なければなりません。

 現状、保険診療での遺伝子パネル検査は標準治療のない固形がん(希少がんや原発不明がん)、あるいは標準治療終了または終了見込みで、かつ検査施行後に化学療法が可能な状態と判断された固形がん患者に限定されています。これらの条件を満たす患者さんは我が国で発症するがん患者の1〜2%(約1万〜2万人)程度と推測されており、大部分のがん患者はまだ遺伝子パネル検査を受検することができません。また、治療選択肢が見つかっても、該当する治験や先進医療がなければ自費診療にて投薬するしかなく、治療につながる可能性の低い遺伝子パネル検査を保険診療にて実施する意義は乏しいと言わざるを得ません。我が国が誇る国民皆保険制度は、すべての患者さんに平等に治療を行うために必須のシステムです。しかし、遺伝子異常をもとにした個別化治療は、一人ひとりに合わせた治療を行うという視点では、そうした均一化された治療を行う保険診療の概念と相容れない側面を持ちます。今後は、薬事承認のプロセスの見直しや適応外使用の条件付き承認など、産官学が一体となった早急な体制変更が求められています。


 

慶應義塾大学 医学部腫瘍センター
ゲノム医療ユニット長 教授

西原 広史

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